■実話ときどき法螺

60代主婦の、実話だけではおもんないし

フェリー

神戸ー高松間を就航する船便の中にジャンボフェリーというのがある。
片道2000円弱で、ネット割だと100円安くなる。土日と深夜便はちょっとだけ割増料金にもなるが、それでも安い。
海辺のカフカ」の中でカフカ少年が神戸から高松に向かうのに高速バスを利用していたが、なんでジャンボフェリーを使わないかなぁと、私はかなりそこに不満があったのを今も思い出すたびに不満がぶり返す。
カフカ少年にはジャンボフェリーに乗ってほしかった。
フェリー乗り場のうら寂しい雰囲気とか村上春樹の筆で表現してほしかったなぁ。
とはいえ、神戸のフェリーターミナルはその後きれいに建て替えられ、今はさほどうら寂しさはなく、早朝や深夜便を利用するときに仮眠するにも快適だし、着替えや化粧をするにしても使いやすい設備が揃っている。今のフェリー乗り場はあまり情緒的にはそんなに魅力的ではないかもしれないが。
私がフェリーを推すのには理由があり、一時期非常に懇ろだったのだ。
毎週フェリーに乗っていた。
高松の港から神戸へ向かうのだ。
思春期特有の神経症的な困難な症状を抱えていた娘が神戸の大学に進学し、案の定、入学直後から精神的に不安定で、私は心配で毎週娘のアパートへ通うことになった。
毎週なのでなるべく安く行かねばならない。
私立の女子大は学費も安くなかったし、娘がかかる精神科医から勧められた診療は保険適用外のもので、1時間のカウンセリング代が20000円もしたし、夫の営む家業は時代の趨勢と逆行するような業界で緩やかに衰退するのみの気配により、将来の見通しはうすらぼんやりとした、決して明るくはないものだったから。
だから毎週JR(予讃線特急+新幹線)など使ってられなかった。
フェリーなら往復でも4000円以内で済んだ。JR使ったらその3倍か4倍になる。
真夜中に出かけ真夜中に帰ってきた。
真夜中に乗船し、早朝に神戸に着き、いくつか私鉄を乗り継いで娘の住む町まで、家を出てから7時間くらいかかる。真夜中のフェリーでなんとか眠ろうとしても三等室の硬い床に横たわった耳に船のエンジン音が障って眠れず、それだけではなくあのころはあらゆる種類の不安にさいなまれた精神状態が眠りを妨げていたのだろうが、とにかくつらい道中の記憶だけが残っている。
辛い記憶にもかかわらずフェリーには助けてもらった、その恩義ゆえに私はカフカ少年にはジャンボフェリーに乗ってほしかった。
ジャンボフェリーの世界デビューの機会だったのに。なんで、村上春樹はジャンボフェリーを選ばなかったのか、返す返すも残念に思う。

さて、件の小難しい症状を抱えた娘に翻弄された時代も今では古い記憶になった。
こういう振り返りをするとつくづく長く生きてきたんだなぁと思ってしまう。
人生の中で起こる良いことも悪いことも、山も谷も過ごしてきたという感慨に改めて耽るのであるが、今はそういう感慨を述べるのとは違う趣旨での語りなので先に進む。
そうそうジャンボフェリーの話。
娘が神戸にいなくなればジャンボフェリーとも疎遠になった。
加えて、私の住む町からも関西方面への高速バスの新たな便ができてからはもうすっかりフェリーとは縁遠くなってしまったのだった。
その間にうら寂しかったフェリー乗り場が高松も神戸もすっかり新しく明るく建て替えられていたってわけ。

「フェリー2」へつづく