■実話ときどき法螺

60代主婦の、実話だけではおもんないし

ゴミのような人生だったとは思わないけど。

書きかけの小説みたいな雑文がいっぱいあって、これもまた終活の観点から整理していかなきゃなぁ、なんてことをときどき思い立っては落ち着かない気分になり、だけど終活の優先順位から言えば、もっと先に整理、処分すべきものはたくさんあるので、実際には何も動き出すこともないまま時間だけが過ぎる。
いつか私が死んじゃったら、誰に迷惑をかけるでもないパソコン内のゴミとしていずれこの世から自然消滅してくれるのだろうとは思う。
ゴミのような私の書きかけの小説群をときどき読み返す。
結構面白かったりする。
へえ、こんなの書いてたっけ?と驚くこともある。
で、その続きを書いてみようとして、気づく。
そっか、続きが書けなくってゴミになってたんだ。
スタートダッシュはいいけど持久力が無い。
これって私の人生全部を通して、私の人生の質を決定づけるような本質的な欠点なのだ。
書きかけの小説のゴミの山を前にして、なるほどね、と深く納得する。
もうこの歳になると、自分の本質に気づいて悲しくなるということはない。
66年の人生で何度も何度も経験してガッカリを繰り返してきたからね。

もう残り時間が少なくなって、起死回生もありそうもなく、自分の能力の低さを再自覚して、ただ納得するのだ。

なるほど。

私にふさわしい人生の結果を今、見ている。