■実話ときどき法螺

60代主婦の、実話だけではおもんないし

夕空晴れて秋風吹く。
故郷の方向の空を仰いで父母のことなど想う。
父は23年前に他界している。
父には十分に親の恩に報えなかったことが今も悔やまれる。
母は96才。先ごろ亡くなられたエリザベス女王と同い年なのだ。
すっかり呆けてしまっているわけではないけれど、もう、甘えられる人ではなくなっている。
66才でまだ甘えたがってしまうのは末っ子だからなのか。
夕空の彼方の母を想いながら、母の死を思わなくもない。
スマホの着信に兄の名前が表示されるたびに身が縮む思いがする。
母の死の知らせに私はどれくらいの打撃を受けるんだろうかと想像する。
それは、恐怖への準備を自分にさせているのかもしれない。
それはもうそんなに遠くない未来に確実にやってくる。
秋の夕暮れの次第に昏くなりゆく空を見ながら、今日は殊更にそんな想いに揺れた。

ねこ2

ユリは今では体重4キロの妙齢猫に成長した。 相変わらず美人ではあるが、首回りや腰回りにやや肉が厚くつき始めている。 娘は、痩せさせろと私に求めるがなかなか難しい。 娘は食べるものなどを自分で厳しくコントロールできるタイプの人間だが私はからきしダメ。 食べたいものは食べたいだけ食べるという方針で今までやってきた。 他にたくさん我慢する人生だったからなぁ。そういう意味では賢明なバランス感覚は持っているつもり。 あらゆることに我慢して自分を厳しく律した結果、栄光の人生を手に入れる人もいるが同じくらいの確率で心身を病んでしまう人もいるのではないかというのが私の、世間を俯瞰してみての感想なのである。 自分のその感覚に因って私は食べたいものを食べたいだけ食べるスタイルでこの年まで生きてきた。結果栄光の人生は手にできなかったわけであるけれど。 そういう私に、猫をもっと痩せさせろと娘が命じても、それに従うのは難しいことなのである。 美人だけどちょっと太り気味。我が家の猫、ユリの容姿模様である。 近影については、娘の許可が出ないので公開は差し控えたい。

ねこ

去年の7月に姑が亡くなった。
3月に脳梗塞を起こし、脳のダメージが大きく要介護となり、3ヶ月のリハビリを経た後、自宅介護を決心した。
決心した私はえらかった。
えらかったと我ながら思うぞ。
リハビリ入院中に自宅介護を見通して介護部屋のリフォームなど着々と進めるとともに、
今後私に訪れるであろうストレスフルな状況を少しでも緩和すべく、というかそういうことを言い訳として、
猫を飼うことを自分に許した。
保護猫センターに問い合わせてみようかと思っていたタイミングで、娘の彼氏さんが野良の子猫を見つけて、
飼う気はないけれど見捨てるわけにも行かず、庭先に餌だけを置いて見守っている最中であるとの情報あり。
これはもうその子猫ちゃんをもらい受けるしかなかろう。

姑の退院が8月8日に決まって、子猫ちゃんは7月中旬に我が家に来てもらうという段取りをつけた。
その矢先、姑の様態が急変して、あっという間に亡くなった。享年94才。
脳梗塞発症までは、我が家と同じ敷地内の母屋で一人で暮らしていた。
私は姑のために食事だけを作り母屋へ運んでいた。それ以外のことは姑はまだまだ一人でできていたから。

自宅介護予定だったことで私の評判は上がるだけ上がって、実際には介護をすることもなく。
姑は不出来な嫁の身の程知らずな覚悟(自宅介護)に不安を覚えて、さっさと自分の身を処したのかもしれない。
そういう人だった。

姑が亡くなったのが7月9日で、その1週間後に予定通り猫がやってきた。

ユリと名付けた。
美少女猫さんだった。

つづく。